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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)11286号 判決

原告 篠原晃

右訴訟代理人弁護士 手塚義雄

被告 株式会社 映光

右代表者代表取締役 福島貞雄

右訴訟代理人弁護士 波多野義熊

主文

被告は原告に対し金三二万円およびこれに対する昭和四五年一一月二八日から完済まで年五分の金員を支払え。

原告の主位的請求のうちその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分しその一を原告その一を被告の各負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(一)  主位的請求

被告は原告に対し金九七万円およびこれに対する昭和四五年一一月二八日から完済まで年五分の金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行宣言

(二)  予備的請求

被告は原告に対し、昭和四三年二月一日から一ヶ月金二五、〇〇〇円づつの金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(主位的、予備的請求に対し共通)

請求棄却、訴訟費用は原告負担

第二当事者の主張

(主位的請求関係)

一  請求原因

(一) 原告は昭和四三年二月上旬頃、被告の注文により、学校教材用のスライド「原子力」および「地球学習基礎資料第三集」(以下「地球第三集」と略称する)の企画製作を請け負う契約をし、報酬その他の詳細は近く双方で協議のうえ決定することとした。

(二) 昭和四四年六月、原告と、被告から代理権を与えられた岡田敬介との間で、右請負契約に関し、次のような内容の約束をした。

1 原告の作成するスライドは一組につき一〇〇ないし一二〇コマとし、一組につき三ヶ月を製作期間とみて、六ヶ月で二組を完成する。

2 報酬は一〇〇コマ一組の場合、一組につき五四万円とし、一コマ増すごとに三、六〇〇円づつ加算する(一二〇コマの場合六一二、〇〇〇円)

3 被告は代金のうち一〇万円を同年七月七日までに支払い、その日を原告の完成時期の起算点とする。

(三) 原告は昭和四四年九月一八日頃被告に到達した書面で、前記代金のうち一〇万円を、三日以内に支払うよう催告し、さらに同年同月二七日に被告に到達した書面で請負契約を解除する旨の意思表示をした。

(四) 原告は被告の債務不履行により、次のような損害を蒙った。

1 本件請負契約が履行されれば原告が得られたはずの利益の喪失による五五万円。計算は次のとおり。

一組につき一〇〇コマとして二組製作した場合、報酬は一〇八万円であるが、このうち経費に当るのは、監修者に支払う指導料一組につき一〇万円の合計二〇万円と作図、作画、写真の費用二組分合計で三〇万円、および諸雑費三万円の計五三万円である。したがって原告の収入になる利益は一〇八万円から右経費五三万円を差し引いた五五万円となる。

右の点については、代金を決定する際の被告の申し入れでは、原告の収入になるシナリオ料、演出企画料は一コマ一、六〇〇円、したがって一〇〇コマ一組とした場合一組につき一六万円、二組で三二万円とし、他に経費として、監修者に支払う指導料一組につき一〇万円、二組で二〇万円、作画・作図・写真使用料(画家、写真家に支払うもの)として一コマにつき二、〇〇〇円したがって一組一〇〇コマの場合一組当り二〇万円、二組で四〇万円、諸雑費は一組当り八万円、したがって二組で一六万円を、それぞれ計上するということであった。しかし、原告の収入が三二万円では、製作に要する六ヶ月の期間を考えると、少なすぎるので、原告が二組製作するスライドのうち約一〇〇コマ分の写真は被告が手持ちのものを一コマ分一、〇〇〇円で使用させることを申し入れ、費用のうち諸雑費も原告が節約すれば、余剰分は原告の収入とすることを申し入れたところ、被告の代理人である岡田敬介はこれを承諾した。したがって、原告の経費中作図、作画、写真の使用料は一〇〇コマ分で一〇万円節減でき三〇万円となるし、諸雑費も二組分で三万円程度に節減できたはずであるから、原告の収入は前述のように五五万円と見込みうるわけである。

2 被告が昭和四三年二月本件請負契約を締結してから、細目を決める約束をしながら、具体的な予算を示さず、細目決定が延引させられたため、原告が待機している間に他の仕事をすることができずに失った利益の喪失四二万円。

原告は大正四年生れで専修大学経済学科卒業の学歴を有し、昭和四三年当時被告会社に勤務して月六万円の給与を得ていた。この金額からいって原告が一ヶ月に得る収入は三万円を下ることはなく、昭和四三年二月の契約から同四四年六月の細目決定まで一四月間の喪失利益は四二万円を下らない。

(五) よって被告に対し右損害の賠償として合計九七万円と、これに対する昭和四五年一一月二八日(訴状送達の翌日)以降完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因事実の認否

請求原因(三)の事実は認めるが、その余は全部否認する。原、被告間で下交渉があったにすぎない。なお、岡田敬介は被告会社の従業員であるが、原告主張のような代理権は有しない。

三  抗弁

かりに請求原因事実が認められるとしても

(一) 原告は被告に雇傭されていたところ、被告は、昭和四〇年九月から同四三年一月までの二九ヶ月間、原告に対し、原告が毎月七〇コマのスライドを作る予定で毎月三五、〇〇〇円(一コマあたり五〇〇円)の金員を仮払いした。よって計一、〇一五、〇〇〇円の返還請求権を有する。

(二) 被告は右債権を自働債権として、昭和四七年六月六日の本件口頭弁論期日において、本訴請求債権と対当額で相殺する旨の意思表示をした。

四  抗弁事実の認否

(一)の事実を否認する。被告主張の金員は給料として受領したものであって、仮払金ではない。カラースライドを製作するのに、一コマ五〇〇円ということはありえない。原告は昭和三三年頃から、月五万円の給料を得ていたが、昭和三九年四月から、六万円に昇給するに際し、税制上有利なように、二五、〇〇〇円を固定給とし、三五、〇〇〇円を歩合給とする形式をとるよう被告にすすめられて、このような形式にしたものである。後に再抗弁に記載のとおり、原告は被告主張の期間中スライドを製作していて、そのうち、昭和四二年三月に完成した「気象庁のしごと」(カラースライド六〇コマ)に対しては、被告は別途五六、四〇〇円を原告に支払っているくらいである。もし被告のいうように、三五、〇〇〇円が毎月の仮払いなら、当然当時相殺を主張してしかるべきなのに、そのようなことはなく、別途支払を受けていることは、三五、〇〇〇円が給料であって、原告の仕事を予定した仮払金ではないことの証明である。

五  再抗弁

(一) 原告は被告主張の期間中次のようにスライドを製作している。

1 昭和四一年春「東海発電所建設」(カラー、六〇コマ)

2 同じ頃「地球学習基礎資料第一集」(カラー一二〇コマ)

3 同四二年三月頃「気象庁のしごと」(カラー六〇コマ)

4 同年秋頃「地球学習基礎資料第二集」(カラー一〇〇コマ)

したがって、仮に被告主張の仮払金であったとしても、右各スライドの製作は、その対価として評価されるべきであり、原告に返還債務はない。被告のいう一コマ当り五〇〇円月七〇コマというのは、ずっと以前の単純な白黒スライド当時の単価で、カラーによるくわしい解説付のものには当たらない標準である。

(二) かりに右の主張が認められないとしても、被告代表者植野光弘は、昭和四三年二月上旬頃、本件請負契約締結に際し、従前の清算の結果のやりとりはない旨原告に申し入れ、原告の債務を免除する旨意思表示をした。

六  再抗弁事実の認否

(一)の事実中、原告がその主張のようなスライドを製作したことは認める。しかし、そのうち四二年三月の「気象庁のしごと」に対しては、別途に同年四月に五六、四〇〇円を支払っているし、その他については、被告は原告に対し、昭和三九年一一月三〇日に二五、〇〇〇円、同四〇年一月一四日に一〇、〇〇〇円、昭和四〇年三月二九日に二〇、〇〇〇円、同年四月から八月まで毎月三五、〇〇〇円、計一七五、〇〇〇円の仮払金を支払っており、これに対する債務の履行に相当するものであって、被告主張の前記自働債権の原因となった仮払金に対応する原告の債務の履行ではない。

(二)の事実は否認する。

(予備的請求関係)

一  請求原因

(一) 原告は昭和二九年八月頃から被告に雇傭されていたもので、昭和四三年二月当時固定給として二五、〇〇〇円、能率給として三五、〇〇〇円の支払を受ける約束であった。

(二) 原告は昭和四三年二月上旬頃、被告から「これまでの月給制を廃し、今後は請負制にしたい」との申込を受け、その際、主位的請求で主張するような請負契約の申込みを受けた。そこで、原告は被告の申込に応じて雇傭契約の合意解除を承諾するとともに請負契約の申込を承諾したものである。

(三) 原告が被告との雇傭契約の合意解除を承諾したのは、同時に主位的請求で主張する請負契約が成立したと信じたからであり、もし請負契約が成立しないのなら、雇傭契約の解除を承諾するはずがない。したがって、もし主位的請求の請負契約が成立していないとすれば、原告の雇傭契約解除の承諾の意思表示は要素の錯誤に基づくもので無効である。

(四) よって、主位的請求の請負契約の成立が認められないときは、被告との間の雇傭契約は存続していることとなるから、昭和四三年二月一日以降毎月二五、〇〇〇円(固定給相当分)の支払を求める。

二  請求原因事実の認否

請求原因(一)の事実は認める。同(二)の事実中、雇傭契約の合意解除の点は認めるが、その余の事実は否認する。同(三)の事実は否認する。

第三証拠関係≪省略≫

理由

一  ≪証拠省略≫を総合すると、原告は昭和二九年春頃から被告の社員として学校教材用スライドの製作を担当しており、昭和三九年春頃からは、固定給二五、〇〇〇円、能率給三五、〇〇〇円ということで給与の支払を受けていたが、昭和四三年二月頃、被告代表者植野光弘と原告との話し合いで、給料制を廃して原告は被告を退社することとし、今後は、各企画ごとに純粋の請負制とすることになり、その際、被告はすでに製作を予定して広告にも発表し、原告も準備を進めていた「原子力」と「地球第三集」を、とりあえず製作することをそしてこれを原告に注文し、報酬を支払うことを申し入れたこと、原告もこれを承諾したが、報酬額等の詳細は後日協議のうえとりまとめて決定することとしたことを認めることができる。この事実によると、代金額等は後日なお協議されることにはなっているが、原告と被告との間で「原子力」および「地球第三集」の二組のスライド製作について請負契約が成立したものと解するのが相当である。被告は、これは下交渉の段階にすぎないと主張し、≪証拠省略≫にはこれに沿う部分もあるが、次の点からいって信用できない。すなわち、≪証拠省略≫によると、原告は昭和二九年春頃から被告の社員として学校教材用スライドの企画製作に従事し、当初三年位は能率給として毎月五万円程度の給与の支払をうけ、その後は固定給として毎月五万円の給与の支払を受けてきたもので、昭和三九年春頃からは固定給を二五、〇〇〇円、能率給を三五、〇〇〇円として合計月六万円に改められ、四三年二月頃まで原告は毎月六万円の給与の支払を受けてきたことが認められ、このことからすると、たとえ被告の側では原告が能率給に見合った仕事をしていないとして不満を持っていたにせよ、原告としては被告との雇傭契約が解除されるとすればたちまち生活の基礎を奪われることになるのに、将来の見通しもなく、また退職の手当等もなく、たやすく合意解除に応じたとみることはできず、被告から前記スライド製作の注文を受け、その報酬を期待できる見通しをもったからこそ解除に応じたと認めるのが相当だからである。なお、前記認定のように、報酬額の決定等が後日の協議に委ねられていることも、請負契約の成立を否定する理由とはならない。もとより、請負契約は双務契約であるから、一方の仕事の内容は確定されていても、その対価たる報酬につきまったく取り決めがない場合は、請負契約は未成立というほかないが、被告(注文主)において仕事の対価として報酬を支払う旨の合意が明確である以上、その具体的数額が未決定であっても、請負契約の成立を認めて差支えない。この場合、当事者間の協議で後日報酬額の具体的金額が決定されればこの額により報酬支払債務が確定し、もし協議がととのわないときは、客観的に相当と認められる金額を報酬額として請負契約は成立したと解すれば足りる(このように、双務契約による債務の一方が金銭債務である場合、その具体的数額が未確定でも、当事者双方がその対価の支払を確定的に合意しており、単にその具体額の決定を後日に委ねたにすぎないと認められるときは、一般に契約自体の成立を認めてよい。例えば、建物を賃借する旨合意してその引渡を受け、賃料額は後日附近の相場を調査して協議のうえ定める、としたような場合、後日当事者双方で意見が一致しないため賃料が定まらないようなときに賃貸借契約不成立というのはいかにも不合理であろう。要は、対価の支払の確定的合意の有無によって決せられる)。したがって、原告としては、この段階でも、自からスライドを完成引渡すれば、客観的に相当額の報酬を請求できるわけである。

二  ≪証拠省略≫によると、請求原因(二)の事実を認めることができる。≪証拠省略≫には、この点も下交渉の段階にすぎないとの部分があるが、被告代表者の供述によっても、被告代表者としては原告の収入となる企画料、シナリオ料としては一コマ当り一、六〇〇円でもやむをえないと考えており、また原告が仕事に着手するには、予め雑費分として一〇万円程度の支払はしなければならないと考えていて、その旨岡田敬介に指示していたと認められ(る。)≪証拠判断省略≫

三  請求原因(三)の事実は争いがない。

四  原告の損害額について判断する。

(一)  ≪証拠省略≫によると、本件請負契約の報酬額中、シナリオ料、演出料は一コマ当り一、六〇〇円と計算されていたことが認められ、これによると、一〇〇コマ一組としてスライドを製作した場合一組につき一六万円、二組につき合計三二万円となる。これが原告の収益になることは明らかである。原告はその他に、経費として見積られていた作図、作画、写真使用料(一組一〇〇コマの場合二〇万円(一コマあたり二、〇〇〇円))のうち一部は被告の手持の写真を利用することによって節減でき、また雑費(一組当り八万円)も二組で三万円程度に節減できるはずであったから、これも収益に見積りうると主張し、≪証拠省略≫もこれにそうものであるが、この点は、あくまで原告の側から考えた希望的計算を前提にした余得というべく、客観的に期待しうる収益というには不十分であり、その喪失をもって損害と認めることはできない。

(二)  次に、原告は、本件請負契約の細目決定を延引させられたことによる損害を主張するが、≪証拠省略≫によっても、原告が前認定のような請負契約の成立の段階で、他の仕事をなしえない状態に置かれたと認めることはできず、原告としては、少なくとも被告から頭金として一〇万円の支払を受けるまで仕事に着手する必要がなかったことは自から主張しているところであるから、原告が他に仕事ができなかったことによって失った利益を損害として請求することはできないといわなければならない(原告としては、他の仕事をしてよかったし、また一〇万円の支払の有無にかかわらず、まず仕事を完成して報酬金額を請求すればよいわけである)。

(三)  したがって、原告が被告の本件請負契約の債務(一〇万円の支払義務)不履行によって受けた損害は前記三二万円の限度で認定しうるに止まる。

五  相殺の抗弁につき判断する。

被告のいう「仮払金」返還請求権の法律的構成は必ずしも明確でないが、そのいわんとするところは、「原告が一ヶ月当り七〇コマのスライドを完成することを条件として、毎月三五、〇〇〇円を支払ったが、原告はこの仕事を果さず、条件は成就しなかったから、結局同額の不当利得の返還請求権を有する」というにあると解される。しかしながら、被告の主張する三五、〇〇〇円の支払が、右のような意味での「仮払金」であったと認めることはできない。≪証拠判断省略≫すなわち、≪証拠省略≫によると、原告が被告の仕事をするようになった当初は毎月七〇コマ程度のスライドを作成して五万円程度の給与を得ていたが、この頃のスライドは低学年向けの白黒スライドであって、説明文も簡単であったこと、その後次第にカラースライドを用いるようになり、また高学年向けの詳しい説明文を加えるようになったので、当初のような一ヶ月七〇コマという割合で仕事を完成することはとうてい不可能となったことが認められ、被告代表者の供述によっても、いわゆる能率給に当る一ヶ月三五、〇〇〇円がどのような基準で計算されるものかは明確でない。また、被告は原告が昭和四二年三月頃作成した「気象庁のしごと」(カラースライド六〇コマ)に対し、別途報酬として五六、四〇〇円を支払っていることは当事者間に争いがない(再抗弁とその認否参照)ことからすると、被告の支払っていた三五、〇〇〇円は仮払金というようなものではなかった疑いが強い(もし仮払金であり、被告のいうように返還請求権があるというなら、なぜこの精算を問題にしないで別途の支払いまでしたのか、疑問である)。原告本人の供述するように、この三五、〇〇〇円は名目上は能率給であっても、実質的には固定給の一部であり、税対策上能率給と名付けていたことも十分考えられるところである。

以上のとおりであるから、相殺の抗弁は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がない。

六  以上判断したとおり、原告の請求は、主位的請求のうち金三二万円とこれに対する昭和四五年一一月二八日(訴状送達の翌日であること記録上明らか)以降完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める限度で正当であるからこれを認容し、その余を失当として棄却する。

(裁判官 上谷清)

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